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東京地方裁判所 昭和58年(行ウ)158号 判決

原告(選定当事者)

石田千秋

選定者

荒川寿美子

被告

鈴木俊一

右訴訟代理人

堀家嘉郎

松崎勝

石津廣司

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は東京都に対し、一六四一万二九二〇円及びこれに対する昭和五八年一二月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告の本案前の答弁

1  本件訴えを却下する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

三  請求の趣旨に対する被告の答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  別紙選定者目録記載の選定者ら(以下「選定者ら」という。)は東京都の住民であり、被告は東京都知事の地位にある者である。

2  東京都教育委員会(以下「都教委」という。)は、東京都(以下「都」という。)内の公立学校において教頭職にある者のうち勧奨退職に応じた二九名につき、昭和五八年三月三一日付で一日だけ名目的に校長に任命したが、これらいわゆる特任校長は、同年四月から五月にかけて、校長職にあつた者としての給料に基づき、更に後記名誉昇給を受けたものとして算出した退職手当を支給された。

3  しかし、右支出は、次のとおり違法である。

(一) 地方公務員の給与は、本質的に労働基準法一一条に定める賃金と同じであつて、労働の対価として支払われるものであり、給与の一部としての退職手当も法的には賃金である以上、勤労を伴わない職務に関して給与を支給することは本来あり得ないことである。

しかるに、都の学校職員の給与に関する条例別表第一の「小学校、中学校等教員職員給料表」及び別表第二の「高等学校等教員職員給料表」においては、教頭職は職務等級が一等級であるにもかかわらず昭和五八年三月三一日付退職者中の前記二九名の者については、校長職に当たる特一等級の直近上位の等給に格上げされ、その等級所定の額の給料月額をもとに算出された退職手当が支給された。

ところで、地方公務員法(以下「地公法」という。)二四条一項は、「職員の給与は、その職務と責任に応ずるものでなければならない。」と定めている。したがつて、校長としての職務を果たさず、名目だけその地位を得た者に対して職務を果たした者としての基準により退職手当を支給したことは、違法である。

(二)1 右二九名の退職者は、更に退職時の優遇措置である名誉昇給制度をも適用された。

この制度は、退職者の勤続年数につき、一五年を境とし、退職に際しそれ未満の者に対しては一号給、それ以上の者に対しては二号給昇給させるという仕組みであつて、校長職として特一等級の号給に昇給された右二九名は全員が勤続一五年以上であつたから、右制度の適用により更に二号給昇給させられた号給を基礎として算定された退職手当が支給されたのである。

(2) 地公法二五条三項七号は、給与の支給方法とともに、「支給条件に関する事項」を条例事項と定めているところ、名誉昇給の場合の「勤続一五年以上」の場合というのは、同号の「支給条件に関する事項」であるから、条例に定めがなければならないが、都の退職手当に関する条例にはこの支給条件の記載がない。

したがつて、条例に基づかずに右二九名の者を二号昇給させたことは、地公法二五条三項七号、同法二四条六項、二五条一項及び地方自治法(以下「地自法」という。)二〇四条三項、同法二〇四条の二のすべてに違反するというべきである。

4  都は、右の公金の違法支出により、右二九名の者が教頭職で退職した場合の退職金支給額と特任校長として退職した場合のそれとの差額一六四一万二九二〇円の損害を被つた。

5(一)  地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)二四条五号によれば「教育委員会の所掌に係る事項に関する予算を執行すること。」は地方公共団体の長の職務権限であるから、本件退職手当を支給したのは都知事である被告である。したがつて、被告は、故意又は過失により都に対し損害を与えたものとして、右損害の賠償をする責任がある。

(二)  仮に後記被告主張のとおり、都知事が、教育委員会に属する支出の命令に関する事務を、地自法一八〇条の二の規定に基づき、東京都会計事務規則」(昭和三九年三月三一日規則第八八号、以下「都会計規則」という。)及び通達「知事の権限に属する事務の委任及び補助執行について」(昭和三二年九月二六日三二総庶発第六六五号、以下「本件委任通達」という。)によつて都教育庁副参事に委任しているとしても、右委任通達の第二(補助執行事務)の二によれば、人件費については、昇給のつど、あらかじめ知事と協議するものとされているから、被告は知事として、本件退職手当支給対象者の昇給についても、事前に都教委と協議したはずであつて、被告は、その際前記の違法のある本件昇給発令を抑止しえた。しかるに、被告は、故意又は過失によりこれを抑止せず、都はその結果前記損害を被つたのであるから、被告には、右損害の賠償をする責任がある。

(三)  仮に右のとおり支出命令に関する事務が委任されていたとしても、予算の調整は長の専権に属するものとされている(地自法一四九条二項)ところ、本件特任校長制度に伴う退職手当の支給は、昭和五五年度から毎年実施していたものであるから、昭和五七年度についても、被告は知事として、予算の調整の段階から、退職手当の支給が本件のような仕組みで支給されることを知つていた。

したがつて、被告は、すでに予算の調整段階で本件支出を予防できたはずなのである。しかるに、被告は、故意又は過失によりこれを予防せず、都はその結果前記損害を被つたのであるから、被告には右損害の賠償をする責任がある。

(四)  仮に前記のとおり支出命令に関する事務が委任されているとしても、本件退職手当の支出は、副出納長によつて行われているところ、地自法一五四条は、「普通地方公共団体の長は、その補助機関たる職員を指揮監督する。」と定め、さらに同法一四九条五号は、長の担任事務として「会計を監督すること」を定めているから、副出納長の決定について、長である被告は責任を免れえない関係にある。本件退職手当金の支出は前記のとおり法令に違反するものであるにかかわらず、副出納長は同法二三二条の四第二項に違反してその支出をしたものであつて、被告は、その監督者として、故意又は過失により右違法な支出を防止しなかつたものとして、前記損害の賠償をする責任がある。

6  そこで、原告は昭和五八年九月一日被告に責任のある右公金の違法支出につき東京都監査委員に対し、同法二四二条一項に基づく監査請求を行つたところ、同年一〇月二八日監査委員から原告の住民監査請求を認めない旨の監査結果が通知された。

よつて、原告は、同法二四二条の二第一項四号により、都に代位して被告に対し、損害金一六四一万二九二〇円とこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五八年一二月一三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を東京都へ支払うことを求める。

二  被告の本案前の主張

1  被告は、本件訴えにつき被告適格を有しない。

すなわち地自法一五三条一項は、長はその権限に属する事務の一部を当該地方公共団体の吏員に委任することができる旨、同法一八〇条の二は、教育委員会の事務を補助する職員に知事の権限に属する事務の一部を委任することができる旨をそれぞれ規定しており、都においては都会計規則六条の規定により、知事の支出命令の権限を同条所定の職員に委任している。都教委の事務局である都教育庁(右規則二条一号の「局」)に属する支出命令は、知事の権限に属する収支命令権を同規則により委任する旨副知事から都教委教育長等へ本件委任通達を発したことにより同規則六条一項一号に基づき、都教育庁の予算事務を主管する総務部企画室副参事に委任されており、本件退職手当の支出命令は同副参事が発したものである。公法上の委任は、法律に根拠規定が設けられていることを要し、かつ、その効果として委任にかかる権限は受任庁に移管され、委任庁は当該事務について権限を失うものであつて、この点において私法上の委任とは本質的に相違する。

これを本件についてみるに、退職教職員に対する退職手当の支出命令権者は、都教育庁総務部企画室副参事であつて、都知事ではない。したがつて、本件において、被告は同法二四二条の二第一項四号の「職員」ではないから、都に対して賠償責任を負うべき由もない。

右の次第で、被告は本件訴えにつき、被告適格を有しないものであるから、本件訴えは却下されるべきものである。

2  原告は、被告が本件委任通達に基づき知事として教育庁の事務担当者と事前に本件支出について協議をしたはずであるから責任があると主張する。

しかしながら、都における予算の編成及び執行の手続等については、昭和四〇年度から東京都予算事務規則(昭和四〇年三月三一日規則第八三号)が制定され、その四八条においてあらかじめ財務局長と協議を要する事項が規定された。同条により昇給については、それに伴う支出が予算の範囲内であれば、協議する必要がないこととなつた。本件委任通達は昭和三二年九月二六日施行の通達であるから、右規則の制定によつて、右通達のうち規則と抵触する部分は効力を失つたものである。本件昇給に伴う支出は予算の範囲内であつたから、本件につき被告は知事として教育庁からの協議を受けていない。したがつて、被告は、事前に本件支出を抑止する権限がなかつたから、被告適格がないというべきである。

3  原告は、予算の調整は知事の権限であり、被告はその調整の段階で本件支出を予防できたから責任があると主張する。

しかしながら、都における教育関係経費については、教育庁が財務局に予算見積書を提出し、知事の査定を受けて予算に計上されるのである。公立学校教職員の退職手当は、退職者に必ず支払うべき義務的な経費であるから、毎年度おおむね次の計算の方式を基礎として算出した見込額が右予算見積書に計上される。

「毎年度行う統計調整によつて得られる退職見込者数」×「退職日(3月31日)における退職見込者数の平均給料月額」×「退職見込者の平均勤続年数に対する支給率」−「予算として計上される退職手当額」

昭和五七年度の予算を要求するために提出された予算見積書の退職手当についても同様であつて、本件特任校長の任命に伴う退職手当の増加額は、とくに記載されていないのであるから、被告が予算の調整段階においてその金額を知りうる由もないのであつて、それを予防すべきであつた旨の主張は失当である。

したがつて、被告は、本件支出に関して何ら権限を有しないから、本件訴えについて被告適格を有しないものである。

4  原告は、被告が出納長に対し会計上の監督をする義務があり、これを怠つたから責任があると主張する。

長の権限である「会計を監督する」とは、出納長又は収入役がその会計事務を執行するに当たつて、その遵守すべき義務に違反するかどうか、又はその行為が職務の執行上不適当でないかどうかを監視し、必要に応じて指示命令等をなしうる権限を有することをいうものである。すなわち、会計事務執行に対する一般的な監督をいうものであつて、すべての個別的支出について長の監督が要求されるものではなく、本件支出においても、監督義務はない。したがつて、被告は、右理由によつても被告適格を有することとはならないというべきである。

三  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち校長への任命が名目的であることは争うが、その余の事実は認める。

3  同3(一)中教頭職が職務等級が一等級であること、主張の二九名に主張の退職手当が支払われたことは認め、その余の主張は争う、(二)のうち(1)の事実は認めるが、(2)の主張は争う。

4  同4のうち、教頭職で退職した場合の退職金支給額と、特任校長として退職した場合のそれとの差額が一六四一万二九二〇円であることは認め、その余は争う。

5  同5は争う。退職手当を支給したのは都であり、支給手続のうち支出命令を発したのは、都教育庁総務部企画室副参事であつて、公金の支出をしたのは都出納長である。なお、本件支出について被告に権限のないことについては、被告の本案前の主張1ないし4のとおりであつて、被告は本件支出手続に何ら関与しておらず、また監督義務も負つていなかつたものである。

6  同6の事実は認める。

四  被告の本案に対する主張

1  都教委は、勧奨に応じて退職を申し出た教頭のうち二九名を昭和五八年三月三一日付をもつていわゆる特任校長に任命して特一等級に格付し、更に、二号給昇給させたが、この右校長の発令、昇格及び昇給は、いずれも都教委の所管事項である任命権の行使として、同委員会のした処分である。

ところで、行政処分は、公定力を有するから、権限なき行政庁によつてされた場合、強行規定に違反する場合等一見明白重大な瑕疵を有する無効の場合は格別、取消原因たる瑕疵を有するとしても、当該行政庁、相手方及び関係者を拘束するものである。換言すれば、処分庁又は裁判所によつて、撤回又は取消判決がされない限り、当該処分、法規は有効として取り扱われなければならないのであつて、このことは、私法において、取り消しうべき意思表示又は法律行為は、取消権者によつて取り消されるまでは有効であつて、当事者は履行の義務を負うことと軌を一にするものである。よつて、都教委のした本件発令等の各処分を前提として「職員の退職手当に関する条例」(昭和三一年九月二九日条例第六五号)により、本件二九名に対する退職手当が支給されなければならないのである。

原告は、本件発令等の各処分が違法であるから、退職手当の支出もまた違法であると主張するが、右の理を看過したものである。

2  住民訴訟は地自法二四二条一項所定の事項につき、当該職員が違法な行為により地方公共団体に与える損害を予防、是正、補填することを目的とする財務会計上の制度である。

本件事案は、同法二四二条の二第一項四号の規定に基づく職員に対する損害賠償代位請求事件であるから、右損害賠償請求権は同法二四三条の二第一項後段に基づき被告が本件二九名に対する退職手当につき、故意又は重大な過失により法令に違反して支出命令をしたことによつて、都に損害を与えたことを要件とするものと解すべきところ、被告は右支出命令の職権を有せず、また支出命令をしていないこと、従つて被告が本件支出命令について故意又は重過失があつたとする余地は寸毫もないこと、支出命令の内容である退職手当の根拠である本件発令等の各処分は、都知事と対等な立場にあつて、独立して教育行政を所管する都教委がしたものであること、本件発令等の各処分は公定力を有して支出命令担当職員を拘束するものであること、本件二九名に対する退職手当は退職手当条例によつて算定されたものであることを考えるならば、都知事は賠償責任にかかる前出要件をすべて欠くものであるから、被告が都に対して同条同項所定の賠償責任を負わないことは明白である。

もともと、職員の賠償責任を論ずるについては、法律又は条例の委任による政令、省令又は規則等の法令制定行為ないし行政処分と法令に基づく予算執行行為(支出命令、支出等の支出行為)とを切り離して考えるべきであつて、後者にかかる故意又は重大な過失による法令違反の行為についてのみ賠償責任が問われるのである。

また、右予算執行行為については、法令に準拠し、又は、行政処分を前提としてされるべきものであり、右法令又は処分が一見明白に重大な違法がない限り、後日司法審査の結果、当該法令又は処分が違法であると判断された場合であつても当該支出により賠償責任を問われるものではない。

まして、地自法二四三条の二第一項後段により、賠償責任を認めるためには、その権限に属する事務を直接補助する職員にまで、法令審査権を認めて、自らが違法であると判断した場合に法令不遵守の権限を与え、自己の責任において法令を解釈の上、予算執行行為をすることが前提となるべき筋合であるが、そのようなことは公務員の法令遵守義務を定める国家公務員法九八条一項、地公法三二条の規定から到底考えられないところである。

3  なお、本件退職手当の支出は左のとおり適法になされたものである。

(一) 教育機関の職員の任命権者は、都道府県教育委員会である(地教行法三四条、三七条)。本件において、都教委が勧奨に応じて退職する教頭二九名を校長に任命するについては、勧奨に応じた教頭のうち、多年にわたり管理職として校長を助け都教育に尽した功績をもつ者をその対象としたものである。権限ある都教委の右発令には、何らの違法もない。

そして、「学校職員の給与に関する条例」六条、七条及び「学校職員の等級別資格基準に関する規則」三条、四条の規定に基づき、都人事委員会の承認によつて、校長は特一等級に格付けされている。

次に、いわゆる名誉昇給である二号昇給は、「学校職員の給与に関する条例」八条二項及び七項に基づく「学校職員の初任給、昇格及び昇給等に関する規則」一六条及び二一条の規定に基づき、人事委員会と協議して、その承認をえた「職員の名誉昇級等に関する基準」に基づき発令されたものであつて、本件二九名は右基準の「第一の事由等の3勧奨に応じ功績顕著な者が退職する場合、在職年数一五年以上のもの」に該当するので、二号昇給の発令がなされたものである。

右の次第で、都教委の本件発令等各処分には、何ら違法はない。

(二) 都において、退職教頭に対し、右の如き取扱いがされているのは、次の理由によるものである。

地方公務員は、定年制がなく、その意に反して免職その他の不利益な処分を受けることがない(地公法二七条二項)という、いわば終身雇用制ともいうべき身分保障がされているため、人事の新陳代謝を図るため、退職手当の優遇措置を設けて退職を勧奨する、いわゆる肩叩きが全国的に行われていることは公知の事実である。都のいわゆる特任校長及び名誉昇給の制度は、その一形態であつて、勧奨に応じて退職する職員に対して、昇格、昇給に伴う退職手当の優遇措置を講ずることによつて、人事の刷新を図るとともに志気の高揚を目的として設けられたものである。このように「校長の発令、特一等級への昇給、二号給の昇給」はいずれも、退職勧奨の実効を図るために、法規の範囲内において、退職手当の優遇措置のために設けられた制度である。

職員に対する給与は、給料と手当であるが(地自法二〇四条)、右に述べたとおり本件の昇格、昇給は退職発令と同日付をもつてされるものであつて、退職手当算定の根拠となるにとどまり、これに基づいて給料が支払われるものではない。職務の対価としての給料支払いを前提とした原告の主張は、失当である。

五  被告の主張事実に対する原告の認否及び反論

1  被告主張事実はすべて争う。

(一) 被告が退職者中二九名の者に対して校長職に当たる特一等級の直近上位の号級に格上げした点について、依拠する「学校職員の給与に関する条例」六条は、「職務の等級」の規定であり、その一項には「職員の職務は、その複雑、困難及び責任の度に基づきこれを給料表に定める職務の等級に分類する」とある。

本件二九名の者が校長としての職務を果たした者であるならば、右の規定は当然妥当するが、これらの者は実際には校長としての職務を果たした者ではないのであるから、右の規定はこれら二九名の者を校長としての給料表上の等級に分類する根拠とはならない。

また、被告が挙げる同条例の七条は、「給料表」を定めたものであるが、同法三条「給料」一項の規定によれば、「給料は正規の勤務時間による勤務に対する報酬」であるから、校長として勤務しなかつた者に対して校長としての報酬額を定め、それをもとに退職手当額を算出することはできない。

更に、報告が挙げる「学校職員の等級別資格基準に関する規則」の条文に関する解釈も同様であつて、人事委員会が承認したからといつて、その承認そのものが地公法二四条一項の職務級の規定に反する以上、違法を合法化できる根拠にはならないのである。

(二) 次に、名誉昇給である二号昇給については、都では、この「支給条件」を条例化していなかつたのであるから、人事委員会との協議のなかで定まつた基準があるからとて、二号昇給を正当化する理由には全くならない。

(三) 給与の一部としての退職手当も法的には賃金である。したがつて、対価としての労働がないのに、あたかもそれがあつたかのようにみなしてそれに相応する退職手当を支給することはありうべからざることである。

本件二九名の教頭職にあつた者に対しては、それゆえ法律上の原因なくして校長職としての退職手当の支給をしたものであり、本件退職金の支出は違法である。

第三  証拠〈省略〉

理由

一まず、被告の本案前の主張について判断する。

原告を含む別紙選定者目録記載の選定者らが東京都の住民であり、被告が東京都知事の地位にあることは、当事者間に争いがなく、本件訴えは、原告が地自法二四二条の二第一項四号に基づいて東京都に代位して被告に対し損害の填補を求める住民訴訟であるから、本訴において被告適格のある者は、原告により訴訟の目的である地方公共団体が有する実体法上の請求権を履行する義務があると主張されている者であるところ、原告は、本訴において、被告が公金の支出につき何らかの財務会計上の行為に関与し、それにより東京都に損害の賠償をする義務を負うと主張しているのであるから、被告には右訴えにつき被告適格があるというべきである。被告が本件公金支出に関与する権限を有していた職員であるか否かは、本案の判断事項であつて、被告適格の問題ではない。

よつて、被告の本案前の主張はこれを採用することができない。

二そこで、本案について判断する。

1  都内の公立学校において勧奨退職に応じた教頭職の者のうち二九名に対して都教委が右退職日である昭和五八年三月三一日付で一日だけ校長に任命したこと、更に右二九名に対しては他の都職員にも適用している退職時の優遇措置である名誉昇給制度、即ち、勧奨退職に応じた者のうち一五年以上の者に対して二号給昇給させる制度を適用し、この二号給昇給させられた号給を算定の基礎として同年四月から五月にかけて退職手当金が支給されたこと、右二九名が教頭職で退職した場合の退職手当金支給額と特任校長として退職した場合のそれとの差額が一六四一万二九二〇円であること、以上の事実は、当事者間に争いがない。

2  まず、被告は、都教委における支出命令の権限を地自法一八〇条の二の規定に基づき、都会計規則六条一項一号、本件委任通達により都教育庁の予算事務を主管する同庁総務部企画室副参事に委任しており、本件退職手当金の支出命令も右副参事がしたものであるところ、行政庁において権限の委任がされれば、長は受任者に対し、委任事務の執行につき指揮監督権を有しないこととなるから、被告は本件の退職手当金の支払につき何ら責任を負わないと主張する。

都知事が、その権限に属する都教委の支出命令権限を、地自法一八〇条の二の規定に基づき、都会計規則六条一項一号、本件委任通達記第一により、都教育庁の予算事務を主管する企画室副参事に委任していることは、〈証拠〉によつてこれを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

しかしながら、公金は、支出の原因となるべき契約その他の行為(以下これを「支出負担行為」という。地自法二三二条の三参照。)及び支出命令を経て支出に至るものである。そして、右の支出命令が普通地方公共団体の長の権限に属することは、同法二三二条の四第一項の規定から、疑いをいれないところであるが、右の支出負担行為もまた、それが予算の執行ということができるものであれば、長の権限に属することとなる(同法一四九条二号、地教行法二四条五号)。本件のような退職手当金の支出の場合、右の支出負担行為が何を指すかについては、地自法には直接の規定がおかれていないが、国の会計に関する「予算決算及び会計令」に基づく支出負担行為等取扱規則(昭和二七年大蔵省令第一八号)一四条一項・別表甲号2は、退職手当を含む「その他の手当類」につき、支出負担行為として整理する時期を「支出決定のとき」と、支出負担行為の確認又は認証を受ける時期を「支出を決定しようとするとき」と、また、支出負担行為の範囲を「支出を決定しようとする額」とそれぞれ定めており、これらによれば、同規則上、退職手当金の支出における支出負担行為とは退職手当金の支出決定とされているものであることが明らかである。このような会計上の取扱いは、国と地方公共団体とで異なる理由はないから、地方公共団体においても、右規則と同様の取扱いがなされるべきものと解される。

そうすると、本件退職手当金の支出についても、支出負担行為として、支出決定がされているものと考えられるところ、右支出決定は、予算の執行としてされることはいうまでもないが、都会計規則及び本件委任通達によれば、都教委においては、配付を受けた予算の執行に関することは、都教育庁職員が補助執行としてこれをするものとされており、右職員は、都知事から権限の委任を受けているものでないことが認められる。したがつて、本件退職手当金の支出決定は、都教育庁職員が被告の権限の補助執行としてこれをしたものであつて、右支出決定をした者は、法律上は、結局、被告であるというべきである。そして、原告は本訴において支出命令の違法のみならず支出決定の違法も争う趣旨であると認められるから、支出命令に関する権限を他に委任したから責任がない旨の被告の主張は、これを採用することができないものといわなければならない。

3  そこで、以下、被告のした本件退職手当金の支出決定が原告主張の違法事由によつて違法となるかどうかについて判断する。

本件勧奨退職に応じた二九名に対する校長への任命及び二号給昇給の各発令は、都教委のしたものであることは、当事者間に争いがない。

ところで、地教行法二三条によれば、学校職員の任免その他の人事に関することは、教育委員会の独立した職務権限に属するものであつて(なお、同法三四条参照)、地方公共団体の長は、右独立機関たる教育委員会に対しては必要な措置を講ずべきことの一般的勧告権を有するに過ぎず、指揮監督等の権限を有しないものとされている(地自法一八〇条の四第一、二項、地自法施行令一三三条の二)。したがつて、被告としては、都教委のする任命の発令については、これに伴う給与等の支払につきその予算の裏付けがある以上は、これを阻止しあるいは無視することはできないのであつて、右任命や発令が不存在であるか、又はこれに重大かつ明白な瑕疵があつて、退職者が現にその等級号俸にあるものということができず、そのため、右等級号俸にあるものとして退職手当の支出決定をすれば、当該支出決定自体が違法となるような場合でない限り、退職者に対してその者の等級号俸に応じた退職手当を支払わなければならないものというべきである。

本件において、原告が被告のした支出負担行為の違法事由として主張するところは、支出負担行為そのものに存する違法ではなく、都教委がその独自の権限に基づいてした校長への任命、昇格及び昇給の発令に関する違法であるから、前記のとおり、被告は、右各行為については、それが不存在であるか又はそれに重大かつ明白な違法がない限り、これを前提として支出決定をしなければならないものであつて、右の程度に達しない右各行為の単なる違法は支出決定の違法事由となり得ないものといわなければならない。そこで進んで、本件において、原告が昇格等の違法事由として主張するところが、被告の支出決定を違法とするような事由であるかどうかをみると、原告の主張は、要するに、退職する教頭職にあつた者を一日校長に発令し、校長としての職務に応ずる等級号俸を計算の基礎として退職手当金を算出したことが、地公法二四条一項に違反するのみならず、対価としての労働がないのに賃金である退職手当金を支払つたものとして違法であり、また、右の者に更に適用した名誉昇給制度が地公法二五条三項七号にいう条例事項であるにもかかわらず、条例に定めがないものとして違法であるというのであつて、これらの主張事由は、任命、昇格及び昇給の発令が不存在であるという趣旨に出たものでないことはいうまでもなく、また、右任命、昇格及び昇給が地公法二四条一項に違反するかどうか、対価のない賃金の支払として違法となるかどうか、名誉昇給制度について条例に定めがなければならないかどうかということは、いずれも一義的に明白である事項ということができないことは明らかであるから、右任命、昇格及び昇給の発令行為には重大かつ明白な違法があるということはできないものといわなければならない。

そうすると、原告主張の事由は、本件退職手当金の支出決定の違法事由となり得ないものというべきであるから、原告の主張は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がないというべきである。

三よつて、原告の本訴請求は理由がないので、これを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(宍戸達徳 中込秀樹 金子順一)

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